こんにちは。やもともりです。
歩いていて道を聞かれたとき、笑顔でスマートに対応できる人って素敵ですよね。
例えばこんな感じです▼
すみません。〇〇駅にはどうやって行くのか教えていただけませんか?
この道をまっすぐ行き、セブンイレブンの交差点で右に曲がってください。そこから3分ほど歩くと着きますよ。
ありがとうございます。
いえいえ。お気をつけて。
私は残念ながらこんなスマートな対応をすることはできません。
そもそも方向音痴ですし地図を読むのも苦手なので、道の説明が下手なんです。それなのに道を聞かれたときには「しっかり対応したい」と意気込み、結局うまくいかず余計なお世話をしてしまうことがあります。
昨日も、後から考えたら余計なお世話だったかなと思うことがありました。
娘と歩いてドラッグストアまで買い物に行った帰り道。一人の穏やかそうなおばあさんに話しかけられました。
このあたりに美味しいお豆腐屋さんがあると聞いたんですが、どこにあるかご存じですか?
お豆腐屋さん・・・?すみません。分からないです。
この時点で、「お力になれず申し訳ありません。」と伝えてその場を立ち去ればよかったかもしれません。
しかし私は、普段は面倒くさがり屋なのに、困っている人を見ると出来る限り助けたくなる人間です。
(一見すると親切な人のようですが、実際は相手のためではなく自分のために動く利己的な人です。「相手がこの後どうなるのか。ひどい結果になるのでは?」と妄想して自分が苦しくなることを避けたいから、相手を助けるんです。)
そのまま立ち去るのは心苦しかったので、スマホのグーグルマップアプリで検索してみることにしました。すると歩いて8分ぐらいのところにお豆腐屋さんが表示されたため、おそらくこのお店のことだろうと分かりました。
ただ、住宅街で道のりが少し複雑になるため、おばあさんに言葉で下手な説明をするよりも一緒に歩いて行った方が安心かなと考えました。
近くにあるようなので、一緒に行きましょう。
いえいえ、ここで大丈夫ですよ。もう少し先まで歩いてみますね。ありがとうございます。
遠慮しているのか、本当にもう大丈夫なのか、どっちだろうと思いました。
でもちょっと分かりづらいところにあるようですし、私もそのお豆腐屋さんを見てみたいので一緒に行きましょう。
一緒に歩きながらお話ししていると、そのおばあさんは88歳で、今日は息子さんの家に遊びに来ているのだとか。そして、運動不足解消のためのお散歩がてら、お嫁さんから聞いた美味しいお豆腐屋さんを探していたのだと教えてくれました。
そこまでお聞きしたとき、自分がしている対応は間違っているのではと思い始めました。
考えれば考えるほど、自分の対応に疑問が生じてきたところで、無事にお目当てのお豆腐屋さんに到着。おばあさんにお礼を言われ、そこで別れました。
家に帰る途中で娘に話しかけました。
私たち、もっとゆっくり歩いた方が良かったかなぁ。おばあさん疲れちゃったかなぁ。
うーん、でも運動不足解消したいって言ってたからいいんじゃないかな。
それもそうだなと思い、心が少し軽くなりました。
人助けというのは、相手の望みがはっきり分かっていないと難しいものですよね。
手を貸そうとしたとき、相手から「大丈夫ですよ」と言われたのなら、その言葉を信じて深入りしない方がよい場合もあります。
それに同じ行為でも、誰にするかやその時の状況によって親切にもお節介にもなります。
今回の道案内はお節介だったかもしれません。道の説明が下手なのに無理に手を貸すとかえって迷惑になりうるし、相手から「大丈夫」と言われた時点で手を引いた方が良かった気もします。
おばあさんの本当の気持ちは分かりません。
でも、別れ際に笑顔で手を振ってくださったので、今回はこれで良かったと思うことにします。
おばあさんのおかげで知ることができた、近所のお豆腐屋さん。今度買いに行く楽しみができました。