こんにちは。やもともりです。
ロザンさんのYouTubeチャンネル「ロザンの楽屋」が面白くて、毎日楽しく観ています。
宇治原さんと菅さんの仲の良い掛け合いが心地良く、時事ネタの勉強にもなるチャンネルです。
中でも先日アップされた【オススメ本】『生物はなぜ死ぬのか』は、考えさせられる回でした。
動画のリンク:https://youtu.be/h1LFINrsDXY
『生物はなぜ死ぬのか』という本について宇治原さんが感想を述べた上で、宇治原さんと菅さんが進化論について語り合うという内容でした。
ちなみに進化論の例として、まずキリンの首について触れられていました。
キリンの首が長いのは、昔キリンが「首を長くして高いところの葉っぱを食べたい」と強く願った結果、ではない。
突然変異でたまたま長い首を持ったキリンが、生きるのに有利で子孫を残しやすかっただけ。
運良くその時の環境に適応できたものが生き残ってきた。進化とはそういうもの。
※なお、キリンの場合は首が長い方が水を飲む時にかがまず飲めるし、遠くの敵を見つけやすいし、配偶者を巡る争いに有利、などとも言われています
そして動画の後半で、ロザンのお二人は以下のように話していました。
- デジタルに向いている人間は現代社会に適応しやすいが、そういう人間が「子どもを残すかどうか」はまた別の話である。
- 人が他の生物と違うのは、「考える」というところ。
- (環境に適応しづらい人でも昔に比べると生きやすくなった)安全な世の中では、「子孫を残したい世の中かどうか」で子どもを産むかを判断する人がいる。
私なりの解釈
- 人間の場合、「生きるのに有利な人 → 子どもをたくさん残す」とは限らない。
- 人間の理性は、繁殖という本能を上回ることがある。
- 「子孫を残したい世の中ではない」と考えた場合、子どもをあえて産まない人もいる。
この動画を見終わったあと、「私は心配性なのに、なんで娘を産んだんだろう」と考えました。
「環境問題、大地震などの天災、財政破綻」など、心配ごとがたくさんある世の中。
子どもを残したいとは思えない日本の現状。
(※個人の感想です)
通常モードの私だったら、こんな世の中に生まれてくる子は気の毒だと判断し、「子どもは産まない」という選択をしたはずです。
それなのに、私は8年前に娘を産みました。
世間体とか、両親に孫をとか、そんなことではなく、ただ
理性(将来の不安)<<< 本能(子どもが欲しい)
となった時期があったんです。
結婚前から「子どもはいなくてもいい」と話していた私が27歳になって急に「子どもが欲しい」と言い出したので、夫はとても驚いていました。
誰に頼まれた訳でもなく、私自分が本能的に望んで産んだ娘。
その可愛い娘に対し、「こんな世の中に産んでごめんね」と謝るのではなく、「どんな世の中でもしなやかに生きられる力がつくよう、サポートするね」といった前向きな言葉をかけたいです。
では、親としては具体的にどんなサポートができるのでしょう。
今考えているのは、家庭の中でプログラミングと英語に取り組む時間を増やすことです。
娘と一緒に、私も勉強し直したいなと思っています。
さいごに
昔、突然変異によって長い首を持ったキリンは、高いところにある葉っぱを「独り占め」できたから生き延びてきたようです。
でももし独り占めせずに、首が長くないキリンたちにも葉っぱを分け与えていたとしたら?
もっと多種多様なキリンが存在していたかもしれないなと、ふと思いました。